新米社労士しま 社労士はじめの一歩

社労士合格後、社労士としての一歩をどう歩んでいくのか。ブログと一緒に成長します!

あれから10年

今日は3.11ですね。あの日からもう10年か…早く感じます。

毎年、Yahoo(今年はLINEも!)の復興支援に賛同して

微力ながら協力をさせていただいております。。

東日本大震災から10年。のりこえるチカラ|3.11企画 - Yahoo! JAPAN

 

私は当時、新卒で入社した会社に勤務をしており、

東京駅近くにあるオフィスビルの22階で働いていました。

職場で仕事をしているときに揺れを感じ、机の下にもぐって、

地震が収まるのを待っていました。ビルが耐震構造だったからか

長い間、横揺れが続いていた記憶があります。。。

揺れが落ち着いて、隣の部署に様子を伺いに行くと、本棚から

本が落ちて、床に散らばっていたのと、社内対策本部が設置され

まずは上司が他部門と連携を取り始めていました。。

 

職場は千代田区だったからか、停電はなし。インターネットで

津波の写真をみたものの、何が起こっているのかその時はまだ

全体像が把握できず…帰宅できる人は帰宅するように指示が

あったものの、とりあえず電車は止まったままだったので、

とりあえず部署の仲間とビルの地下にあるコンビニに行って

何か食べるものを買おうと思ったらすでに出遅れて、棚には

1/3位しか残っていなかったのを覚えています。会社の備蓄の

乾パンと水をもらい、電車が動き出すのを職場で待機。

 

結婚したばかりで、まずは実家の母と夫に連絡を取ったのだけれど、

携帯がなかなか通じず…。夕方やっと家族と連絡が取れ、無事を確認。

あと、義父の名刺に書かれていたメールアドレスに初めてメールを

送って、私と夫、私の家族が無事であること、万が一何かあったときの

連絡先をとりいそぎ、送った記憶があります。

 

夫は同じ方面に帰る同僚とタクシーに相乗りして、自宅まで帰宅済。

ぎりぎり高速が止まる直前に滑り込み、高速降りたら、停電で辺りの

信号は動いていなかったので、途中で降りて少し歩いたそうです。

 

当時住んでた家の周辺(実家も)は停電していてトイレとかも

真っ暗で不便、車で迎えに行ってもいいけど、都内に向かう道が

大渋滞しているから、会社にいた方が安全だということになり、

とりあえず電車が動くのを待つことにしました。

 

 

私が使っていた路線は動いていなくて、違う路線でとりあえず

神奈川までいける電車に乗って、夫に迎えに来てもらいました。

帰宅した際は停電も解消されていて、ただただ漠然とした不安

この先どうなるんだろう…心細い気持ちになったけど、夫が横に

いてくれたから、あの時は「結婚しといてよかった!!」って

心の底から思ったのを覚えています。

 

勤務先の工場の1つが被災し、復旧に少し時間がかかりそうで、

被災していない工場で製造するために一部の人が応援出張に

行ったり、私自身は全社の勤怠管理者だったため、勤怠のつけ方

の指示や相談、システムで処理できないイレギュラーの勤務に

対応するために、結構残業してたっけ。。。

 

あと、西日本の事業所の方々から、足りないものがあったら

社内便で送るから遠慮なくいってね!って何人もの方々から

お声をかけて頂き、その気持ちが非常に嬉しかったですね。

 

あれから10年。。。新卒で入った会社を辞め、

そのあとキャリアカウンセラーを経験して、社労士にも合格し、

そのうえ、転職2回もしてるとは(←多すぎやろ、笑)。。。

夫婦二人の幸せを感じながら、気ままに暮らしてるとは

想像しなかったな~。

 

あ、持ち家を買ったのが震災の翌年で、復興需要で建材が

値上がりしそう→住宅は今が底値で今後値上がりするだろうな

と考え、購入したのですが、これは読み通りだったかも^^

 

いや~10年なんて振り返るとあっという間に過ぎちゃう。。

人生一度きりなんだし、悔いなくやれるときにやれる機会が

巡ってきたら、迷いなくGO!の姿勢を大切にしていきます。

 

そして、震災で命を落とした方のご冥福をお祈りするとともに

いまも支援を必要としている人たちに必要な支援が届くことを

陰ながら願っています。